『賢く生きるより辛抱強いバカになれ』

稲盛和夫 × 山中伸弥『賢く生きるより辛抱強いバカになれ』を読んだ。

稲盛ファンで山中ファンの私としては、夢の競演って感じ。
ありがたい。

山中氏のどこまでもまっすぐな姿勢に応えて、おなじみの稲盛節が絶妙なタイミングで引き出される。
随所で「この二人は言葉が通じているなぁ」と思った。

いちばん好きだったのは、やっぱり終章かな。
『大善か、小善か?』(pp. 170-1; 218-9) という問いと、それに対する自覚と、自戒と、それらの有無とはまた別に起こりうる不測の事態。
経営者も研究者も、それ以外の人も、一流の人もそうでない人も、皆それぞれに違う場で、それぞれに違うレベルで、混沌や迷いや葛藤とともに生きている。
何事も真面目に取り組み、深く考えれば考えるほど、完全で明快な答えを出すことは不可能で、白黒つけようとすること自体に意味がないのだと気づく。
わかりやすく、見栄えがよく、やたらポジティブな生き方よりも、疑い、迷い、時には立ち止まる生き方を私は好む。

地獄の箸の改良 (p.224) は研究や開発をする人が実に陥りやすい落とし穴だと思う。
好きだとか楽しいとかいう自分の感情や、新しい技術、自分の能力を試したいという欲、あるいは学位や収入を得る条件など、個人的な都合を発端にしていると、いつの間にか研究のための研究、開発のための開発をしてしまい、そもそもその研究・開発が誰の何の役に立つのか、どういう目的で始まったのか、その研究・開発の結果がどこへつながるのかを見失いやすい。
困難にぶち当たれば楽な道へ逃げたくもなる。
その場の空気に流されて、選択を誤ることもある。
甘えや疲労によって判断が鈍ることもある。
孤独に耐えられない日もある。

日本人に英語は必要なのだろうか。
必要だとすれば、誰にどんな方法で何を提供することが求められているのだろうか。
ただ好きだから、楽しいから、ラクがしたいから、自分のアイディアを試したいから、嫌なことから逃げたいから、有名になりたいから、注目されたいから、お金儲けがしたいから、など「私心」(p.88)や「不純物」(pp.228-9) が理由に混じっていないか。
日本人に英語教育を施した先には、何があるのか。

「大善は非情に似たり、小善は大悪に似たり」。
心が弱ったときには、この言葉を思い出そう。

稲盛和夫・山中伸弥 (2014). 賢く生きるより辛抱強いバカになれ. 朝日新聞出版.

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