解決しようとしない癖

問題を論い、共感することに執着して、解決を好まない傾向について。

年下の友人が、「昔の友達と話が合わない」と言う。
彼女は高校卒業と同時にアメリカに渡り、学業を修め、資格をとって、日本人であることが特に優遇されない世界で立派に働いている。

その彼女が久しぶりに帰国して、10代の頃に仲の良かった旧友たちと会う。
会うのはうれしいし、友情はありがたいのだが、とにかく話が合わないと言う。

話題が偏っている上に、どの話題も彼女の興味をそそらないというのもあるが、彼女が指摘しているのは、問題を提起し、周辺情報を出し合い、共感をする、というところまではいいとしても、そのあたりをぐるぐるしているばかりで、ちっとも話が進まないのはおかしい、ということ。

なにも難しい話じゃなくて。
たとえば「ウチの会社、いまだにこんなことやってて」
「わかるー、ウチもそうだよ」
「こういうときって、絶対こうならない?」
「なるなる。ムカつくよねー」
「ねー」
「それにさー、あれもおかしくない?」
「そうなんだよ。本当どうにかしてほしい」
「それはまだいい方だよ。こっちなんてひどい」
「あり得ないよねー」
「ねー」
…という感じで、提起される“問題”の内容は変化していくし、提供される周辺情報には事欠かないのだが、“議論”の流れが「問題提起→情報提供→共感→終わり」で固定されているのだ。

それで彼女はこう言いたくなる。
「それって今の自分たちの力では変えようがないんでしょう?だったらそこを掘り下げるんじゃなくて、その中で、自分は何ができるか、どうしたいかって考えてみたら?」

うん。
彼女の気持ちは痛いほどわかる。
まったくもって、おっしゃるとおりだと思う。
でもね、気をつけないと私たちのような立場の人は「アメリカかぶれ」とか「怖ぁい」とか言われて、切ない思いをすることになるよ。

ま、「どう思われようと構わない」ってのもアリなので、そのあたりは選択の自由なんだけどさ。
怖がられて距離を置かれてしまうと、結局そのおかしい“議論”はそのままで解決しないからねぇ。

いずれにしても、そうやって人間関係における変化をしみじみ感じられる感性は、とても大事。
彼女にとっては、どう転んでも良い機会になったと思う。

彼女と、彼女が出会った昔の友人たちでは、ゴール設定が異なる。
友人たちのゴールは、おしゃべりの時間をなるべく長く続け、その時間内でなるべく多くの共感をしあうことだ。
問題の解決など望んではいない。
問題の周辺を、文句を言いながら、延々ぐるぐるしているのが楽しいのだろう。
もし解決なんてしちゃったら、その楽しみがなくなってしまうので、解決はむしろゴールの妨げとなる。
「解決してよかったよね」なんて話では盛り上がれないのだ。

友達同士のつきあいには「ゴールもなく、ただ愚痴る」というのがあってもよいが、問題は、その経験によってついた「解決しようとしない癖」が、もっと重要な、ちゃんと決めなきゃいけない場面にも現れて、議論の邪魔をしたり、議論をぶち壊したりすることだ。
ゴールもなく、ただ長い時間をかけて共感しているだけでは、生まれるものは少なく、効率は上がらず、話を前に進めようとしている人を疲れさせる。

ある問題が見つかったとき、その問題の周辺情報から別の情報へ、また別の情報へと次々に話題が波及して拡散するうちに、どこかで嫌な思い出とリンクして感情がヒートアップしたり、こんなに多くの情報を提供しているにもかかわらず、ちっとも共感を示さない相手にイライラしたりして、そもそもの話とはまったく関係のないところで激怒する、とか。

ある問題に気づき、周辺情報を闇雲に集め、集まった情報をすべて真に受けて不安になり、その不安を押さえきれず、どんどん情報を集めるのだけど、それがかえって不安を増幅させる、とか。

AとBのどちらかに決めましょう、という場面で、みんなで話し合って、意見や情報を共有し、これはAになりそうだな、というところまで来てから、「やっぱりBへの思いがどうしても捨てられないので、ここは何とか、ひとつBでお願いできないでしょうか」と言い出す、とか。

「あるある」「わかる」「ウチもそう」…と共感してもらえるかな。
でも、そこで終わっちゃダメだよ。
その癖の話してんだからね。

で、どうするか。自分はどうしたいか。
自分に何ができるか。
誰のところへ行ったら、どういう動き方をしたら、問題は解決するのか。
議論の場では、みんなの利益になるようなゴールを定め、それに向かって議論を始め、相手の意見をよく聞き、自分の理解を確認し、本筋からズレてきたら軌道修正するのが当然だと思う。
その根本には、みんなの貴重な時間を有効に活用するんだという意識があってほしい。
効率よく総意に到達するために、必要な情報を過不足なく提供し、交渉技術を駆使し、相手の事情や気持ちを汲みつつ、自分の考えを伝え、意見交換の中から新たに生まれたアイディアを柔軟に取り込みながら、一人でも多くの人が、少しでも多くの満足感や納得、達成感を得られるよう、みんなで協力して作るものだと思う。

「日常の些細なことや雑談でそんな堅苦しいこと、したくない」と思われるかもしれない。
でも、小さなところでもやっていないことを、いきなり大舞台でやらされるほうが、よっぽど酷だと思うんだよね。

まずは家族や友人と、気軽に議論の練習をして、「解決しようとする癖」をつけていく。
そういう小さな積み重ねが、やがて大きな変化につながるのだと思う。

英語教育方面からチラッと添えるなら、そういうことができるようになってくれないと、ちょっとぐらいペラペラになったって、何の意味もないのでね。
お願いしますよ。

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「解決しようとしない癖」への2件のフィードバック

  1. 現状の問題点ををさんざん言い立てて、その原因もさんざん議論し尽くして、さあ、あとはもう、この結論しかないじゃないかというところで、急に不可思議なブレーキがかかり、「まあ、早急にそこまで行くのもナンですから、今回は継続審議事項ということで」 なんて言われて腰砕けになることが、これまで何十回もありました。
    確かに、もし会議を英語で開いていたら、あっという間に解決しますね。

  2. 「不可思議なブレーキ」。笑。本当に不可思議ですよね。
    その不可思議なやり方で外国から信用してもらおうなんて、無理な話です。

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