死に方

私らしい死に方、について。

私は生き方にはあまり興味がなくて、どうなってもならなくても一向に構わないのだけど、死に方については、ちゃんと考えておきたいなと思っている。

死を語ることが怖くてできない人が多いようだが、幸い私の周りには、家族を含め、すんなりと死を語り合うことのできる人たちがいてくれるので、会話の中で自然と死が話題になった時々に自分の考えを深め、構想を練るようにしている。
どういう死に方を希望しているか、折に触れ自覚しておく。
その修正と深化を重ねるプロセスのどこかの時点で、私は実際に死を迎えることになるのだと思う。

どう死ぬか、具体的なことはわからない。
もちろん希望どおりにならないことも多々あるだろうから、細かいところまでは結局決めようがないのだが、その時の状況下で、可能な限り最もひっそりと、ガチャガチャしないのがいいなと思う。
病院は大嫌いなので、なるべく近寄らず、でも後々面倒にならない程度に、最低限の手続きは踏んでおくのがよいだろう。
何かしら急展開なことになった場合でも、できるだけさくっと手早く処理してほしい。
他人であれ身内であれ、心臓が止まるほど驚かせるのは不本意なので極力避けたい。

人はいつ死んでもおかしくない。
私もいつ死んでもおかしくない。
死に、早すぎるも遅すぎるもない。
そのことを、特に私にとって大事な人たちには、うっすら覚悟しておいてもらえると助かる。
ま、死ぬのは当たり前ですから。
逆に私がずっと死ななかったらビックリしてよ。

死ぬ場所とか、死に際に一人がいいとか誰かに看取られたいとか、骨をどうするとかお墓とか、そのへんの希望は一切ない。
なんでもいい。
とにかくサラッと片付けてほしい。
モノは少ないし整理してあるから手間はかからないと思う。

死んだ後は、使えるものがあったら残らず使ってもらいたい。
そういえば、と思ってふと検索してみたところ、臓器提供意思表示カードが新しくなってたよ(参照)。
次に帰国したら更新しておこう。

葬儀については、ずいぶん前からイメージできている。
要するに、emi会の最終回。
私の死をきっかけに、いろんな人が一堂に会し、新しい出会いや久しぶりの再会があったりして、みんなでワイワイ、仲良く楽しくおしゃべりして、何の集まりだったか忘れちゃうぐらい盛り上がってもらいたい。
無理に私の話をしなくていいからね。
「不謹慎」とか、そういうの、なし。

で、「ほー、あの人とあの人がつながったかぁ」とニンマリしたい。
ふふふ。

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