『舟を編む』

『舟を編む』を読んだ。
おもしろかった。

本屋大賞だとか映画化だとか、話題だったようだが、この本のことは全然知らなかった。
Kちゃんが「emiさんの感想が聞きたいと思った」と言うので、どういうことか知りたくなった。
で、帰国前に実家へ届くように注文しておいたら、先に読んだ母が「emiに薦めたくなるの、わかる」と言うので、ますますどういうことか知りたくなった。

帰国中はあいにくチャンスがなく、アメリカへ戻る飛行機に乗ってようやく開くことができた。

ほー。
目からウロコが落ちた。

マジメくんを筆頭に、辞書の人、紙の人、デザインの人など、変人たちのことは手に取るようにわかる。
24時間365日、“そのこと”ばっかり考えている、とか、何をしていても、全部“その話”になっちゃう、とかね。

私は言葉好きでもある。
辞書編集部の方たち同様、辞書を引き始めたら、その語釈に出てきた語を引いて…と、エンドレスに辞書を引くという遊びを子どもの頃よくやっていた。

整理整頓は得意だし、「パズル的センス」(p. 15)もある。
ちょうど機内では左前に座った白人の少年がテトリスをやっていた。
隙間があっても構わずO型(正方形)のブロックをかぶせるなど信じられないプレイを見せていたので、「キミは絶対に辞書編集に向いてない」と思った。

よく間違えられるけど、私は言語学の人ではない。
だから言葉そのものへのこだわりはほとんどなく、マジメくんや松本先生のように、日常生活において言葉がひっかかってしょうがないということはない。
ただし、言葉づかいやコミュニケーションの方ではひっかかり、教案になりそうなアイディアを絶えず拾い集めている。
私には英語教育版「用例採集カード」があるというわけだ。

辞書作りの工程も、身に覚えありまくりだった。
私は辞書を作ったことはないけど、人間がメインで機械にはほんの上っ面しか任せられない、いわゆる文系の手作業というのは、気が遠くなるほど綿密で、トラブルの起き方が独特で、修正するとなったらとんでもなく面倒なのだ。
わかる、わかる、と思いながら読んだ。

変人の日常も、考え方も、やることも、みんな私にとってはあるあるだった。
では、どこが「目からウロコ」だったか。
それは西岡さんと岸辺さんの心情に触れたところ。

西岡さんと岸辺さんは、いわゆる普通の人である。
普通の感覚を持ち、普通の社会人として、普通に暮らせる人。
それでいて、普通じゃない人を拒絶したりもしない。
何の因果か変人の巣窟へ送り込まれれば、やがて変人を理解し、感化され、普通と普通じゃない、二つの世界を行き来し、間に立って通訳ができるようになる。
そういう役目をしてくれている人が、私の周りにも何人かいる。
器用で、世渡りが上手く、身のこなしが軽やかで、癖がなく、仲間が多く、どんな場にも溶け込める。
そして、マニアックな話をおもしろがって聞き、意見を求められれば、その時々に応じた一般論を提供できる。
流行に敏感で、趣味が多く、興味の幅が広い。
非常にバランスの良い人たちだ。

しかし、器用な彼らは、その器用さゆえに悩んでいた。
西岡さんも岸辺さんも、葛藤していた。
変人と出会ったとき、密かに面食らっていたことも、変人にある種の憧れを抱いていたことも、変人に認められてうれしく感じることも、私にとってはいちいち新鮮な驚きだった。

変人の仕事は、西岡さんや岸辺さんの支えがなくては成り立たない。
改めて、彼らは本当にありがたい存在だと思った。

本嫌いで読むのが遅い私だが、259ページ一気読み。
首、痛い。

三浦しをん. (2011). 舟を編む. 光文社.

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