スター性

私にはスター性がまったくない。
で、それでいい。

ウェブサイトをリニューアルすることで、私は思いがけず自分の考えや経験や特性などの精密検査を受ける機会を得た。
そこで発見したことは斬新で刺激的でおもしろくて、私のためになりそうなことばかりだったので、全部きっちり書き留めておきたかったのだけど、何の因果か、ものすごく時間の足りない時期と重なって、リアルタイムで記録することはかなわなかった。
なので、印象の強いものだけを、思い出し思い出し、せめてぼんやりと書き残しておこうと思う。

私にはスター性がない。
子どもの頃からしっかりと自覚していたことなので、そのこと自体には1ミリも驚いていないが、今回、改めて確認した。

目立つのが嫌いで、ひっそり暮らしていたい。
自分のことを話すのが苦手で、注目されることが苦痛。
マイナス思考で根が暗い。
自己評価が低く、自信がない。
そして何より、何をやらせても大したことがない。
これから先も、特に何者かになる予定もない。
知ってたけど、よりはっきりと知った。

でも、だからこそ、教育をやる人としては、かなりイイ線いってんじゃないか、と思った。

たとえばアスリートでも芸術家でも研究者でも、企業家でも政治家でも、何でもいいんだけど、トップに君臨するカリスマ的存在の、一流の人のことを考える。
彼らはすごい。素晴らしい。
彼らに憧れて、その道に入る人もいれば、彼らを目指して研鑽を積む人もいる。
遠い目標の輝く星、それがスターだ。

でも、スターは遠くにいるから良いのであって、近くにいられると、いろいろとやりにくい。
努力や苦悩を具体的に見せられると、「あんなにはできないなぁ」と思っちゃうかもしれないし、彼らの持って生まれた才能や運を前に、自分との間に歴然たる差があるということに気づいて凹んじゃうかもしれない。
「すごいなぁ、カッコいいなぁ」には変わりがなくても、「でも自分には無理だなぁ」になっちゃう可能性が高いと思う。

少なくとも、私はそうなる。
すごい人に会うのも、一流の仕事を見るのも好きだけど、もし自分がその道を目指しているのなら、たぶんすごすぎて、嫌になっちゃう。
腰が引けて、やる気がなくなる。

英語教育の業界には“自称スター”がたくさんいる。
英語がペラペラで、外国を渡り歩いて、外国人と対等にやりあって、自分の世界を広げて、才能を開花させて、キラキラ輝いている人がたくさんいる。
“カリスマ”もいれば“アイドル”みたいなのもいる。
自らを“憧れの的”に仕立ててプロデュースし、「みんな、私のようになりたいでしょう?」とステージ上から笑顔を振りまいて、手招きをする。

いや、いいんだよ。
憧れる人がいて、憧れられる人がいて、需要と供給が成り立ってるんだろうからさ。
ただ、その関係性で、そのファンタジーな雰囲気で、教えるとか教わるとか、学ぶとか、そういうことも成り立つのかな、と私は疑問に思う。

私にはスター性がない。
どこにでもいる、普通の人。
専門であるらしい英語も、そこそこはできるけど、大げさにアピールするほどのものではない。
わからないことやできないことは毎日発生するし、落ち込んだり凹んだりの繰り返し。
周りに助けられながら、何とか事なきを得ている。

私は完成していない。
そして、スターの素質も眠っている才能もないので、たとえ精一杯がんばっても、トップを取ることはない。
私は永久に現在進行形の発展途上の学習者である。
これといったゴールもないまま、淡々と、長い道を進むのみ。

だから私は他の学習者に寄り添うことができる。
共感し、一緒に悩むことができる。
手を抜かないで丁寧に取り組むことができる。
そして、的確なアドバイスをすることができる。
才能に恵まれなくても、努力や根性が足りなくても、私ぐらいの英語でよければ、だいたいできるようになる。
「あいつがあのくらいなら」と思えばやる気が出るでしょう?
もっとできるようになって、私を追い越していけばいい。

華やかな世界のスターに憧れる人も多いけど、私のように素朴で地味なのが心地よいという人も、実は結構いるんじゃないかなと思っている。

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