続・見る目

自分を見せるのに忙しいうちは、見る目は育たない仮説。

見る目がないならないでいいじゃない。
その代わり、見る目のある人に選んでもらいなさい。
以前そう書いたのだが(参照)、どうも世の中には“変わらなきゃ教”の熱心な信者さんが多く、「そのままでいいじゃん」ではご満足いただけないらしい。

見る目がない理由はさまざまで、万人向けの解決策みたいなものはないと思う。
でも、たとえば、たとえばね。
見せることを頑張っているうちは、見る目は育たないかもよ。
見る目を持ちたいなら、見せることをやめてみたらどうかな。

「自分を見せるのに忙しい」「見せることを頑張る」とは、つまり、自分に対する他人の評価を気にするということ。
他人の目に映る自分像をコントロールしたい欲求が強い。

心理学でよく言われるのは、子どもの頃に、「何をしても、しなくても、存在だけで十分に愛される」という環境になく、親の顔色をうかがって育たざるを得なかったようなケース。
聞き分けが良く、優等生で、寂しがりやで、軸がない。
とにかく常に他人の評価が先にあって、それに沿うかたちで言動が決まってくる。

概ね、「こう見られたい」という特定の要望があって、その範疇から評価が外れないように気をつけている。
わかりやすく“正解”を提示することが多く、絶対的な善とか悪とかはその典型的な例。
「人によって解釈や見解はまちまち」みたいなことは好まない傾向がある。
「自分の希望より他人の意向を優先してしまう」という場合は、まるで他人任せのように見えるし、本人もそう錯覚しているが、実は欲求としては同じ。
あらかじめ見られ方に制限をかけ、相手の持つ自分像を固定し、さらに相手に同調することで、想定から逸脱する確率が下がるので、より確実に相手をコントロールできる方法だと言える。

本人側の欲求は、たとえば、
・良く見られたい
・悪く見られたくない
・好かれたい
・嫌われたくない
・尊敬されたい
・バカにされたくない
・かっこよくありたい
・弱みを握られたくない
・優位に立ちたい
・見下されたくない

…全部おんなじことなんだけどね。

自分の予定した反応、つまり“正解”の反応を、他人から得られると安心できる。
逆に、たとえば何の反応もなく放置や無視をされたり、褒められる予定だったのに非難された、など、“不正解”の反応があると途端に不安になる。
で、一刻も早く不安を取り除こうと、自分の存在を殊更にアピールし、自分の設定した“正解”を他人の目につきやすいところに置く。
注目を引くための演出をしてみたり。
たいていの場合、周囲はそれを察して、表向きだけでも本人の希望どおりの反応を見せておく。
安心させればとりあえずアピールは収まるからね。

こういうタイプの人は周囲の反応に過敏な一方で、それ以上やるとみんなが離れていく、という加減がわからないので、誘導がエスカレートして、とことんまで行ってしまうことがある。
ま、そこは見る目のなさ故なんだけど。
注目を集めようと、過度に自己を顕示したり、虚言を吐いたり。
相手をコーナーに追い詰めて“正解”の反応を強いてしまったり。
質より量で面倒な人を呼び寄せて厄介なことに巻き込まれたり。
切ないね。

自分がどう見られるか気にしながら、同時に人を見る目もある。
そんな器用な人も、まぁどこかにはいるのかもしれないが、私は今のところお目にかかったことはない。

見る目がある人は、自分がどう見られるかに興味がない。
どうせ他人の解釈はいろいろで、掴みどころがなくて、移ろいやすくてアテにならないと思っている。
状況を冷静に客観的に観察し、信頼できる筋の情報を広く集め、判断し、腹が決まったらベストのタイミングで迷わず動くのみ。
結果は後についてくるものだから、成り行きに任せる。
他人から自分がどう見えるか心配することもなければ、「こう見てほしい」とリクエストすることもない。
そもそも「自分はこれを言った・やったから、他人は自分をこう見る」なんて、当たるとしても稀。
ほとんどの他人は自分が思いもかけない、意外な反応をする。
だから心外なことも光栄なことも、驚きもおもしろみもある。
正解も不正解もない。
他人が自由に反応することを許し、それを楽しめる。

というわけで。
現状見る目がなくて、見る目がある人に変わりたい場合は、ひとまず「どう見られようと、どう思われようと、構わない」という人に変わってみたらいいかもね。
捨て鉢って意味じゃないから間違えないでね。
他人の目が気になる人が、それを気にしなくなるなんて、とーんでもなく難しいんじゃないかと思うけど、なにぶん私は素人。
“変わらなきゃ教”の教祖さまは、どんな人でも、いつからでも、どういうふうにでも変われて、変わることはいとも簡単で、今すぐにでも、誰にでもできて、変わりさえすれば、すべてが良くなるとおっしゃるんでしょう。
じゃあそれを信じればいいんじゃない?

見る目というのは、あれば放っておいても養えるけど、なければ養いようもない。
見る目がない人は、見る目のある人に拾ってもらうのがいちばん。
「そのままでいいんだよ」と言ってくれる人に出会うべし。
凸と凹は相性がいいんだよ。
私はあいかわらずそう思うけどね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です