変わるということ

「変わる」ということを、ものすごく簡単に考えている人が多いみたい。

人は変わらない、と私は思う。
100%不可能ではないにしても、「ほぼ」とか「めったに」を付けるにも満たないぐらいの、ものすごく例外的な場合を除いて、人は変わらない。
私自身は、子どもの頃からぜんぜん変わっていない(参照)。
だから他人も同じように変わらないものだろうと思っている。
ハンドルを握っても、お酒が入っても、大災害が起きても、人が変わることはない(参照)。

脳は繰り返しが好きだから、ラクをするために癖をつくり、正当化するために、「これは正しいことだ」「普通のことだ」「常識だ」「これしかないのだ」と思い込ませて錯覚を起こす(参照)。
慣れ親しんだ習慣を断ち切るのは億劫だし、見たことのない世界へ足を踏み入れるのは不安だし、羞恥心やプライドが邪魔をすることもある。
変わらないための条件はいくらでも揃う。

これらの条件を自覚しながら、それに克つなんて、離れ業としか言いようがない。
ドMの私でもさすがに腰が引けるよ。

マスコミが無責任に嗾けるせいもあって、変わりたがる人が多いのだろう。
何もかもをリセットして、イチから出直したいのだろう。
他人を変えたいという望みを捨てられない人もいる。
ファンタジーを好む人の目には、変わったように見えることもあるのかもしれない。
みんな、「変われる」と信じたいのだろう。

でも、人は変わらない。
魔法の刺激を受けて「変わったかも!」と喜んだ次の瞬間に、「やっぱり変わってなかった」と落胆する。
その繰り返し。

変わることがあるとしたら、それは、水や風が岩の表面を削っていくような変化のことだろう。
来た道を振り返って、遠くに立つ過去の自分と見比べて、ようやく確認できるほどのわずかな変化。
長い長い時間がそうした変化をもたらすことはあり得る。
が、元の岩が岩でなくなるほどに変化することはあり得ない。

その変化にしたって、良いほうへばかり向くとは限らない。
肉眼で観測できないほどの微細で低速な変化のおかげで、いつのまにか自ら不幸を呼び込んでいることもある。
変わってしまっていた自分に気づいたとき、悔いても悔やみきれないことになるかもしれない。

人は変わらない。
変わらなくていい。
そのままで、いい。
いまの自分にできることを一生懸命やったらいい。

「いや、それではいけない」と立ち向かう人もいるだろう。
自分が変わることで事態が好転すると本気で信じ、あえて苦難に挑み、もがき、耐え、乗り越えようとする。
長年培ってきた自分の癖を封印し、過去の失敗を認め、自己の一部を否定してまで、新たな道を模索する。
そんな非凡な勇者には、いつかご褒美として、変わることが許されるのかもしれない。

「変わる」とはそのくらい特別なこと。
選ばれし者が命がけで取り組む巨大なプロジェクトなのだ。
覚悟もない素人が軽々しく手を出しちゃいけないよ。

「変わるということ」への2件のフィードバック

  1. 私、実は変わり身速いです。
    めったには変わりませんが、ここぞという時には、すっぱりと変わります。
    「ああ、こっちの方が本当の俺だったんだ!」 という感覚が、それを促進するようです。
    ということは、かなり偽物の自分を演じ続けてきたのかもしれません ^^;)

  2. なるほど。takさんのように筋の通った方は軌道修正もきっちりできるんでしょうね。
    そういえば、変わりたくて変われない人はほぼ慢性的に変わることを望んでいて、「ここぞという時にはすっぱりと」とはいかない気がします。
    やっぱり「変わる」は特殊技能ですよ。

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