手紙

私の変化を定点観測するための一通の手紙。

その手紙は、いわゆる誹謗中傷。
今のところ私が個人的にもらった手紙のうち、もっとも毒々しく、悪意に満ちたものだ。

もちろん開いた時はそれなりにショックを受けた。
なんなの、この人。
世の中にはいろんな人がいるというけれど、会ったこともない人間を相手に牙をむき、こんなにも手当たり次第に感情をぶつけることができる人が本当にいるのかと驚いた。

人は人を傷つけようとするとき、まず自分がされたらいちばん辛い攻撃について考える。
つまり攻撃する人は“敵”を自分と同じタイプだと想定し、自分の弱点を的にして“攻撃方法”を選ぶのだ。
この手紙の攻撃の仕方から察するに、差出人は相当に自尊心が高い。
だからもし同じようなタイプの人が読んだら立ち上がれないくらいのダメージを受けたかもしれないのだが、あいにく受取人である私は自尊心が極めて低いので、まったく効き目がなかった。

ま、そうでなくても、他人が何をどう思おうと基本的に自由だからね。
「無礼な人だなぁ」とは思うけど、その人の性格や行動について私がとやかく言うことはない。

というわけで私について書かれているところは全然気にならなかったのだが、一つだけ、聞き捨てならないことがあった。
それは、すでに傷ついている多くの人をさらに傷つけ、助けようとしている人の心を踏みにじるような最低の言葉だった。
これだけはどうしても許せなかった。

とはいえ会ったこともないその人に対し、「このへんはどうでもいいですけど、ここだけはダメです」と丁寧に説明する暇も気力もない。
返信すべきかどうか、数日考えて、周囲とも相談して、お怒りである旨を了解したことだけ伝えるべく、「以後気をつけます」的なお返事を出した。
相手からの反応はなく、これでやりとりは終わった。

それから半年ほど経って、ひょんなことからこの手紙を読み返す機会があった。
こういう手紙を破ったり燃やしたりしないで取っておくのが私のドMなところだ。

あいかわらず胸が悪くなるような文章。
しかし、私の読み方が半年前と違うことに気づいた。
書き手に“憑依”するようにして読んでいたのだ。

駄々っ子のように自分の気持ちを感情のままに叫ぶ。
そうしていれば、やがて相手が折れることを知っている。
相手は面倒を避けるために事態を収めるだけなのだが、本人は自分の主張が通ったと解釈し、気が晴れる。
気は晴れるが、人は離れていく。
持ち前の自尊心の高さと、それを守ろうとするたびに強いられる孤独。
底知れぬ寂しさ。手に入れたものへの執着。
それを奪われるかもしれない不安。
その不安が疑心暗鬼と攻撃性を生むのだろう。

おそらくこの人は自分の攻撃性および危険性を自覚しており、身近な、特に大切な人たちには悟られまいとして、普段は慎重に抑えている。
が、時々マグマが噴出する。
そこに自分と縁もゆかりもない他人が通りかかれば格好の攻撃対象になる、というわけだ。
自分でも手が付けられないほどの怒りが爆発して、つい人として最低な言葉まで吐いてしまう。

なんと哀しい人だろう。

これで、会ったこともない私に、これほどひどい手紙を送りつけてきた理由はわかった。
あの最低な言葉も、ひょっとしたら心にもない売り言葉だったのかもしれない。

半年経って、そこまで理解できた。
けれど、まだ許すことはできない。
次にこの手紙を読み返すのはいつのことだろうか。

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