Knowledge

大学や大学院について。

Undergraduate(学部)の学生はKnowledge consumer、PhD(博士課程)の学生はKnowledge producerだという。

Consumerは既成のKnowledgeを享受し、理解する人。
Producerは今までにないKnowledgeを生み出す人。
その間に位置する、たとえばMaster’s(修士課程)の学生は、Full-fledged user としてKnowledgeを使いこなす人。

日本では学部→修士→博士の順番で、“頭がいい”などと捉えられがちだが、むしろ最終目的の違いと考えたほうがよいと思う。
理解したいのか、使いこなしたいのか、生み出したいのか。
それによって選択する先が変わってくるというわけだ。
だから学部を卒業した時点で将来Producerになると決めていれば、修士を通らずいきなり博士課程に進めばいい。
日本だったら飛び級感覚で「天才だ!」と騒がれそうだよね。

学部はConsumer、修士はUser…といっても、実際には課程ごとに厳密に区切りがあるわけではなく、修士の前半および博士の前半はそれぞれConsumer、Userの色が濃い。
博士課程も後半に差し掛かってようやくProducerらしい活動が始まる。
とにかく大学から大学院を通っていく学生は、『ConsumerからUser、Producerへ』と、なだらかに変化していくように仕組まれている。

私は日本の大学や大学院のことをよく知らないのだが、大学入試の内容や、大学生、大学院生を見る限り、日本とアメリカはかなり様子が違いそうに思う。
仕組みとしては、日本の大学も、『ConsumerからUser、Producerへ』にしてありそうなんだけど。
じゃあどこが違うんだろう。

うーむ。
違いは”Knowledge”のほうかな。

この場合の”Knowledge”は、『知見』や『学識』と訳すのが適当だろうか。
一方、日本の大学で重視されているのは、”Information(情報)”や”Technique(技術)”ばかりで、”Knowledge”の持つ、厚みのようなものが感じられない。

先人の足跡、今日までつながる進歩の歴史。
ワクワクするような発見、感動、驚き、好奇心、探究心。
苛立ち、焦り、絶望、挫折、むなしさ、ときどき喜び。
学ぶ側が惹きつけられ、どんどん巻き込まれていく感覚。
“Knowledge”にはそういうヒューマンなところがあると思う。

“Information”や”Technique”ならコンピュータでまかなえる。
“Knowledge”はなかなかそうはいかない。
アメリカの大学はそのおもしろさを積極的に見せているから、いわゆる“頭がいい”子じゃなくても、大学や大学院に行ってみたいと思うようになるのだろう。

日本式の“頭がいい”まま、スクスク育った人たちには信じてもらえないかもしれないけど、つまんないところには、どうしたって人は集まらないんだよ。
逆に、おもしろいことをやっているとわかれば、若いヤツらはじゃんじゃか入ってくるよ。
春でも秋でも関係ない。
止めたって断ったって、入ってくる。
そして、目を輝かせて勉強するようになるよ。

私ほどの勉強嫌いが言うんだから、間違いないって。

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