ウケ狙い

曖昧や誇大を策略的につかって人目を引くのは、悪徳な商売だと思ったほうがいい。

猫も杓子も発信ツールを使うようになり、出版のハードルはうんと低くなった。
出所不明のいいかげんな情報が、なんの篩にもかからず瞬時に世界中へ広がる。
それを聞きかじった人たちが適当に咀嚼して、また別の人へ伝える。
活字の伝言ゲームはへんに説得力があってタチが悪い。

先日、自称“科学者”という方の発言に、根拠があやふやなところがあったので疑問を呈したところ、「多少不確かな情報がきっかけでも、問題意識を持つことが大事」と議論をすりかえられてしまった。

語る人の予備知識・見解・偏見などにより、“真実”はつねに複数存在する。
だから他人の持論についてとやかく言うつもりはない。
しかし、影響力のある人が、受け取り側のリテラシーがそう高くないことを知りながら、公の場で発信することについては、「ご自由にどうぞ」というわけにはいかないと思う。

ちょっと色をつけたり大げさにしたりして、“キャッチー仕上げ”にしてある情報を、私は『嘘』に分類している。
「多少不確かな情報」を垂れ流すことを、私は『無責任』と判断している。
悪徳商法について少し知っているためか、私はこのあたりのことによく鼻が利く。

しかし相手の持ち場へ土足で踏み入って、正論を振りかざしてやりこめるのは好みじゃないし、私にはそれをやるだけの力量もない。
しかもそこには件の発言をすでに鵜呑みにしたオーディエンスがいる。
議論のすりかえは彼らへの配慮と考えるべきかもしれない。
というわけですごすごと退散してきた。

それ以来なんとなくモヤモヤしていたのだが、今日は運良くこんな言葉を耳にした。
自称でない科学者の発言だ。

「科学のなかで、最先端を行く人は『まだわかっていない』ということを知っている。
なんでもすぐに答えが出せる人は最先端ではない。
一生懸命研究したり勉強したりしている人ほど簡単な発言ができなくなる」。

胸のつかえが下りた。
チヤホヤされなくても、ウダツが上がらなくても、一般ウケが悪くても、儲からなくても、流行らなくても、私はこれからも自分の姿勢を貫いていこうと決めた。

「科学に証明してほしいという社会のニーズがある。
厳密に答えられないことについて科学者は発言しない。
そこへ自称科学者が出てきて間を埋める」。

この構造は科学に限ったことではない気がする。
どこの世界も結局は同じようなつくりで、一部の真面目な人が、同じようなFrustration(悩み)を抱えているのだろう。
感覚を麻痺させて悩むことから免れている多数と、感覚を研ぎ澄ませているからこそ悩みの絶えない少数。
まったく世の中は不公平なものだ。

大量生産の安い工業製品を好む人もいれば、老練の職人がつくった一点ものを好む人もいる。
それぞれの人がそれぞれの基準で選択すればいい。
そのことと、偽物やインチキをつかまされるのは、まったく別のことだ。

わかりやすいものはリスクが高いのだよ。
気をつけて。

参考
WAC『ガリレオチャンネル』
脳ブームの落とし穴:なぜ神経神話を信じるのか?

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