偽善

支援とかボランティアの話になると必ず『偽善』という言葉が出てくる。

周辺の類義語としては、『売名行為』『傲慢』『エゴ』『自己満足』。
そう言って攻撃する人をまた別の人が攻撃する。
自分で自分を責めて苦しんでいる人もいる。

今のところ私はそんな攻撃にあっていないし、あってもスルーしちゃいそうだけど、どっぷり巻き込まれた人の話を聞いたり、巻き込まれないように気をつけている人がいたりすると、「あらあらご苦労さま」ぐらいのことは思う。

どーーーーーーーおっでもいいじゃないの。
面倒くさい。

何度も言うが、今回のことで日本人はもれなくショックを受けた。
動く人も動かない人も気疲れを増やしている余裕なんてないはず。
自らストレスを集めて積み上げてどうしようって言うの?

世間の目が気になるなら、おそらくその人は支援活動と相性がよくない。
縁がなかったと思ってさっさと忘れて、今までどおり楽しく暮らしたほうがいいよ。
合わないことをするのは体に悪いからね。

私は宗教家じゃないので、何が『善』なのか知らないし興味もない。
偽るほどの憧れもない。
『善』と『偽善』の間に違いがあってもなくてもかまわない。
どっちも要らない。

問題になるとすればその活動が『迷惑』となるときだけ。
だから「下心なんてこれっぽっちもありません」と、透き通る瞳をキラキラ輝かせて近づいてくる人がいたら、警戒するよ。
澄んだ心が生みだす迷惑ほどタチの悪いものはない。

やりたければやればいいし、やりたくなければやらなくていい。
自分を守ることが大事ならそうすればいい。
「誤解されたくない」という欲望を満たすことも立派な下心じゃないかと思うが、まぁ別にどうでもいい。
自己を満足させられないような人にできることはなんにもないんだから。

今回のことに限らず、私の言動のすべては傲慢な私の自己満足のためにある。
「他人のために動けるなんて素晴らしい」「良いことをしてますね」と思う人がいたら、それこそ大きな誤解だよ。
ま、誤解は付き物だから黙って受け入れとくけどね。

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