自己満足

こんなときだからこそ、それぞれが自己満足に徹すればいいと思う。

日頃やってないことで、非常事態ならできることはあるけど、日頃できていないことは、非常事態になってもできない。

先日も書いたとおり、非常時は日常が顕わになるだけ。
顕微鏡をのぞいたときと同じ。
なにかが変化したわけではないのだ。

詐欺や盗みなどの犯罪まではいかなくても、無神経な人も、逃げる人も、混乱を好む人も見えてくる。
便乗して自分を売り込もうとするヤツだって出てくる。
「emiもこれを機にデビューしたら」と言われたときは、反論する手間も惜しいと思って黙っておいた。

そして顕わになるのは他人だけではない。
性格や能力や考え方などあらゆることについて、「自分はこんな人間だったのか」と気づかされる時でもある。
自分のことを改めて愛おしく思ったり、これまでになく嫌気がさしたりするだろう。

そうなるといろんなジレンマに遭いやすくなる。
被災地から遠く、いつもどおりの生活をのうのうと送っている自分に、腹が立つかもしれない。
「同情するならカネをくれ」と叫びたくなることもあるかもね。

具体的な活躍をしている人の様子を見聞きして、感動すると同時に、何もできない自分に落胆することもあるかもしれない。
こちらはいわば“望遠鏡”だ。

ものすごい高倍率のズームで世の中が見えている間は、人は傷つきやすくなっているし、傷つけやすくもなっている。
この状況下でもしなにか嫌な思いをしたら、“顕微鏡”も“望遠鏡”もちょっと休んだ方がいいかもしれない。
そのかわり、“内視鏡”で自分の中を探ってみてはどうだろう。

たとえば自分が、何かせずにはいられない、落ち着かない状態であるとわかったら、落ち着かせるということを最優先すればいい。
それは、他人や、みんなのための行動でなくてもいい。
気を紛らわすために何か楽しいことを考えてもいいし、のんびりリラックスしていてもいい。
そこへ復興や支援にかかわることがうっかり飛び込んできて、たまたまふと協力する気になったら、さらっと協力して、「ああ、今日はいいことしたな」とうれしく思えばいい。

気が向いたら、ぐらいでいい。
それぞれの体力に合わせてゆっくり歩いてくれればいい。
背負い込みすぎてペタンと座り込んでしまったら、誰かに起こしてもらわなくちゃいけなくなるでしょう?

やがてメディアの注目が他へ移れば、人間に欠かせない機能である忘却装置の存在を恨めしく思うときが来る。
そのときのための準備を今からしておいた方がいい。
良いことも悪いことも、当事者以外は基本的に無関心で当たり前。
それが見えて嫌な気分になったら、「この嫌な気分はどうしたら解消できるか」だけを考えてほしい。
そこで解消され、嫌な気分が他の人に伝播するのを阻止してくれたら、それは十分みんなの役に立つ。

主軸は自己満足。
自分も、他人も、一人ひとりにできることはそんなにない。
繰り返すが、これまでの日常でできていないことは、非常事態でもやっぱりできない。
できないことを責めても、人は決して満足感を得られない。

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