誤解

誤解って実在するのかな。
誤解しないなんてこと、できるかな。

たとえば私のことを誰かが評価する。
厳しい・優しい・冷たい・温かい・真面目・不真面目・変人・凡人・おもしろい・つまらない etc.etc.
あらゆる対極とその中間。

その中に誤解はあるか?と考える。
ない、と思う。
誤解と理解の違いってなんだっけ?

たとえば「こう思われたい」という特定の願望がある人は、「そうは思われたくない」という不本意な評価を“誤解”と呼ぶらしい。
「それは誤解だ!」と叫んで誰かの口を塞ぎ、自分の耳に入らないようにしたとしても、“誤解”は消えるわけではない。
誤解しているのは自分のほうかもしれないしね。

私が人やモノを自由に誤解できるように、誰かも私を自由に誤解する。
そういえばこの世は誤解だらけだ。
多数決なら誤解は真実になる。
混乱や面倒を招いてでも正さなければならない誤解はあるのかもしれないが、裁判沙汰でもない限り、そう多くはない気がする。

誤解するためには、なにがしかの興味を持って、わざわざ手間をかけて判断を下すわけで。
私について誤解をしてくれる人がいるのだとしたら、それだけでもかなりありがたいことだと思う。

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