We

日経ビジネス6月8日号『「オバマ」が変える日本企業』(p.64-68)を読んだ。

記事の主旨としては、観衆に希望を抱かせる“オバマ語”の魅力から、今の時代に求められているリーダー像を浮き彫りにする、というようなこと。

そこに“「We」のオバマ、「I」の麻生”と題し、合衆国大統領と我が国首相の対比が紹介されている。

ある言語学者が行った研究によると、この二者の就任宣言にあたる演説で、一人称の使い方に顕著な違いがあったという。
大統領の演説では「全体の95%がWe」で、首相の演説では「約90%がIだった」のだそうだ。
これに基づいて、これからのリーダーシップとは、話し手vs聞き手の対峙型ではなく、ともに進む国民参加の水平思考型だ(p.65)とまとめられている。

まぁ、わかるけどさ。
ちょっと性急じゃないかな。

データの出所である大統領の就任演説と首相の所信表明演説の質的な違いや、95%を算出した“全体”とは何を指しているか…などについては元の論文にお任せするとしても、アメリカ文化における”We”と、日本文化における”I”の使われ方を無視して、数量的な差だけを発表するのは問題だろうと思う。
少なくともこの記事だけを見ると、アメリカ経験を肩書きに持つ言語学者にありがちな、盲目的なアメリカ礼賛と捉えられても仕方がない。

B教授がよく授業の途中で、”How are we doing?”と言っていたのを思い出す。
日本語にすれば「ここまでいいですか?」ぐらいのものだろうか。
アメリカの教室でアメリカ人の生徒を前にすれば、日本人の私でも”We”や”Let’s”で指示を出す。

コミュニケーションの世界では、「この”We”は話者を含むか含まないか」という議題は手垢のついたものと言ってよい。
古代英語に遡るまでもなく、たとえば先生が”Let’s start the exam” と言ったとき、それが”exclusive we”で、つまり実質的に命令だということは小学生でもわかる。
確かに”We”の方が感じはいいんだけどさ。
水平思考というほどのものではない。

一方、日本語では”I”が好まれる。
話者の責任感を重視するからではないだろうか。
たとえば日本の教室で日本人の生徒を相手に”We”を使ったら、指示として機能しないような気がする。
日本語の”We”は物事を動かす場面に向かない。

仮に記事の内容が、「日本の聴衆(国民・部下・生徒etc)もアメリカ並みに”We”を好むようになってきた」というのなら、文化的な変化として読みようがある。
「日本の首相もWeを使えば支持率が上がる」とも取れるような書き方ではいただけない。

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