びっくり

「びっくりした」が英語にならない理由をもやもや考える。

Illocutionary Actを、日本語では”発語内行為”というらしい。
難しい言葉だね。
たとえば「約束する」と“言う”ことが、約束するという行為になるってこと。

一方、Perlocutionary Actは、“発語媒介行為”と訳すらしい。
さらに難しいね。
自分が“言う”ことにより、自分の意図とは関係なく、相手の感情などを変化させること。
発した本人にそのつもりがあってもなくても、聞いた方が喜んだり傷ついたりしちゃうってわけ。

英語で考えていると「ふーん」で終わってしまいそうだが、ふと、日本語で同じことが同じように説明できるのか?と思いついた。

もちろんIllocutionary および Perlocutionary に当たる行為はどちらの言語にもある。
ポイントは同じ動詞が同じカテゴリーに入るかどうか。

Perlocutionaryに区分される動詞を見てみると、insult, amaze, impress, please, disappoint…
中学英語でもよく”be -ed”として登場するヤツらだ。

『受動態は“~られる”と教わったけど、この動詞は能動態が“~させる”だから、“~させられる”となって、それでは日本語として不自然だから…』という、なんだかよくわからない翻訳経路を通って、やっと「~な気持ちになる」系の訳にたどりつく。
実際、迷惑受身とも呼ばれる“~させられる”は、”be -ed”とは別の次元の話だ。

もちろんこんなワケのわからない遠回りが英語内で行われているわけがない。
英語に限らず一言語の範囲内では、まずありえない複雑かつ無駄な工程だ。
他言語と交わらないようにしていれば出番はない。

日本語と英語の、どうにもしっくりいかない部分。
それぞれの言語を使う人が出会ったとき、慎重な対処を要する部分がここにあるような気がする。

日本語の「びっくりする(した)」の動作主は“私”である。
“私”の中から沸いてくる“私”の変化だ。
一方英語の「びっくり」は”-ed”に頼るか、私以外の主語を借りてくるかしないと表現しにくい。
つまり英語の「びっくり」はPerlocutionaryで、“私以外”の動作主により、“私”に作用が起きた、ということになる。

ざっくり考えてみると、日本語だったら“私”に始まり“私”で完結することでも、英語では“私以外”に端を発していることが結構ありそうな気がする。

“私”と”You”のミスマッチは、「お願いします」と”Please do”や、「いかがですか」と”Would you like”などにも潜んでいる。
それぞれの言語内での人間関係を反映しているように思えてきた。

日本語が”You”をほとんど必要としないのにも何かありそうだ。
責任の所在を問う場面では“私”の比重が大きい。
日本語内ではそれでもいいが、”You”文化と対面したときには不利に働くのではないか。

…というようなことをディスカッション中に思いつき、一人でぐるぐる考え込んでしまった。
本当は発言して他の人にかき混ぜてもらった方が、さらに考えを深めるためにも有効なのだが、反応を要求できるほどの十分な説明ができそうになかった。
そのうちにディスカッションは別のところへ流れていった。

頭がいくらか整理されたのでこうして文字にしてみた。
が、まだどこか足りてない。

【参考文献】
Austin, A. L. (1975). How to Do Things with Words: Second Edition (William James Lectures). Harvard University Press.
Cooren, F. (2005). The contribution of speech act theory to the analysis of conversation: How pre-sequences work. In K. L. Fitch & R. E. Sanders (Eds.). Handbook of Language and Social Interacton. Mahwah, NJ: Erlbaum.
Huang, Y. (2006). Pragmatics. Oxford University Press.
Searle, J. R. (1970). Speech Acts: An Essay in the Philosophy of Language. Cambridge University Press.

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