お与え

母譲りの“お与え”信者なので、越えられない試練などないと思う。

乗り越えられる力を見込んで試練は与えられるから。
期待されているというのは、ありがたいことなのだ。
修行のカミサマが手加減を始めたら、見限られたかと慌てて奮起した方がいい。

先日友人が、“やろうと思えばできたのにしなかったこと”を悔いていた。
しないで過ぎてきたことなど誰にでもある。
人はそのすべてをいちいち悔やんだりはしない。
悔いが残るのは、試練と知りながらすっぽかしたとき。
そしてその悔いそのものが、新たな試練として与えられる。
今度はすっぽかすなよ、というプレッシャー付きで。

一度与えられた試練は同じかたちで差し戻しにはならない。
見ないふりをしたり捨てたり逃げたりすると、パワーアップして返ってくる。
だから試練は届いた順に、その都度対応しておいた方がよい。

さて。

問題は試練の内容が読めないとき。
今の私を例にするなら、
①是が非でも、または要らなくても取りに行くこと
②自分の嫌いな自分を演じられるようになること
③やっと見えてきた道を自ら断念すること
④まったく新しい分野を開拓すること
の、どれをとっても厳しい選択には違いない。

トレーニング開始は間近に迫っているのに、メニューが定まっていないのだ。

いろんな人がいろんなタイミングで、いろんなことを言う。
それもすべてが与えられた貴重な判断材料。
自分に都合のいいものだけ容れないように、できるだけ公平に冷静に、耳を大きくひらいてよく聞こう。

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