Literacy in Society

よく考えて、私の最も嫌う“逃げ”にはならないという結論が出た。

夏期(Summer Session)は連日3時間で、翌日までに大量の宿題が出る。
というわけで今日は起きてからずっとKさんをほったらかして勉強。
ぎりぎりまでパソコンに向かい、教室へ走る。

このコースは”Literacy in Society”。
うまい訳語ではないが、“読み書きのできる社会”とでも言うのか。

後々日本に帰って“外国語”を教えることになる私がこれを履修しようと思ったのは、literacyそのものの理解を深めれば高い識字率を誇る日本の強みを分析して、外国語教育にも応用することができるのではないか、と考えたからだった。

ところが授業の内容も最終プロジェクトも、“アメリカ社会の問題点”に終始している。

30人ほどいるクラスメートは私とMを除けば全員アメリカ人。
そのほとんどが現職または将来、公立校で教員になる。
この国でliteracyが深刻な問題なのはわかる。
何事も勉強して無駄になることなどないのもわかる。

が。
私の方向性とは違う。

適切ではないかもしれないとも思ったが、「illiteracy(非識字)を生む理由がわからないので説明してほしい」と発言したら、若い学生たちは引いた感じだった。
年配の教育者が、「この国には非識字を選ぶ権利もあるんだ」と言ったが、やっぱり理解できなかった。

というわけでこのコースを履修取消(drop)することに決めた。

「Literacy in Society」への2件のフィードバック

  1. そうそう、大学院は自分に必要な研究を深めるところだから!
    思い切って切れば、優先順位の高いものに時間を注げるもんね。
    ズバリ、正しい選択でしょう!

  2. >acha
    そういってもらえるとうれしいです。
    ただ私がドロップしたためクラスで唯一の留学生になってしまった友人Mには
    日々相当イジメられてます(笑)。

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